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ワンコ後藤

Author:ワンコ後藤
ワンコ後藤と申します。
町の変なモノを愛し、たいがい徒歩で移動します。
共立の社員であり、ホテルとその近隣を紹介します。

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近くを歩く(ドーミーイン秋葉原) その7
「上野から湯島へ」
 ここまで来れば不忍池(しのばずのいけ)もすぐだ。上野のお山が「比叡山(上野は東叡山というのだ)」とすると、不忍池は琵琶湖をあてているので弁天様が祭られている。今は工事中でシートでグルグルの建物だが、その周りにはメガネやらフグやらの供養碑が「何でこんな所に?」と思うのがあるので、ただの石だとは思わず見るといいぞ。そして、池では、カモメたちの仁義なき戦いが繰り広げられているのが見られる。(笑)
 カモメ、正確にはユリカモメで姿は優しいのでミヤコドリとも言われるが結構意地汚い上、乱暴ものでもあったりする。満員御礼〜連中は、風が吹くと揺れるロープより池の中に等間隔に並ぶ杭の上の方が好きらしい。杭の上に点々と並んでいるのは、ハトやカラスではなくカモメばかりだ。しかも卑怯にも後ろから蹴りを入れてまで、杭の上を奪う連中もいてなかなか長閑に日向ぼっこと言うわけにはいかないようだ。
 ほかにもカモ系の連中は冬になると池の周りを跋扈する。何故なら、冬でも凍らないからボートに乗る酔狂な人や、売店で何か買ってベンチで食べている人とかもいるので、おこぼれを待ち受けているのだ。小さな子供は、格好のターゲットだ!なにやら食べていたのを、たわむれに足元のカモにあげたら、口コミ(?)でままたく間に集まったカモやハトに囲まれているおじさんがいた。
 この先にも「旧岩崎邸」とかあるのだが、時間を少々食いすぎている。真っ直ぐ、湯島天神へ。こう見えて、中は人ごみで大変なのだ。湯島天神と言えば「湯島の白梅」の「婦系図」BY泉鏡花だが、もちろん読んでいない。でも、境内には石碑があったりガス燈があるので、知っている人は「ふふん」と鼻でも鳴らしてください。まあ、季節柄、境内には絵馬が鈴なりだし合格祈願グッズが売られていたり、結構賑やか。おまけに梅祭りも始まっているのだが、肝心の梅は咲いていなかった。それでも境内や周りには露天が出ていて、ソースの焦げる匂いが美味しそうだ。もうぼちぼち昼だし…。
読みにくくてすまないね さて、何故だか知らないけれどこの近所に「実盛坂」があるのだ。
 「実盛」でピンと来た人は、流石だ!ドーミヴィラ伊豆山前にある、あのお墓の人だ!!サイトー・ベットー・サネモリ殿である。何度も言うが、この人は北陸のほうで亡くなっている。伊豆のお墓は子供かなんかが伊豆山に立てたらしいが、よって、この看板にあるように、「首洗いの井戸」なんてありはしない。江戸っ子の「なんちゃって系オチャメ」である。ゴーインだよね、江戸っ子たちも(笑)まあ、それだけ実盛さんが好かれていたわけだが、今その坂は「こんな」であり、思わず腰砕けになるが、それもまた歴史というものである。


旅日記 | 15:49:32 | Trackback(0) | Comments(0)
近くを歩く(ドーミーイン秋葉原) その6
「新居はどうだい?」
キツネも難儀な事だ 更に道なりに右手の方へダラダラと歩いていくと、鳥居がならんでいるのが見える。小さくて、ちょっと愉快な顔の狛犬がいる神社の入り口である。「花園神社」と言う神社で、古い事は古いらしいが、詳しい事は、わからないそうだ。中に入ると、五條天神と言う神社と土地を半分コにしている感じだ。社(やしろ)的には五條天神の方が広いだろう。ただ、ココには穴稲荷があるので、お暇な方は倉庫のような建物の横にある細い道に、ぴょいと入ると「お狐さん」が祭ってあるから、行ってみてくだされ〜。
 この「お狐さん」たちは、上野のお山開発事業のため、撤退を余儀なくされたキツネ達のためのお社だそうだ。江戸なんて、今の東京から比べて本当に狭い。しかも、さして遠くない所(目黒とか)に鷹狩りといって将軍様が野鳥をハンティングをする所があるわけだから、キツネやタヌキだってブラブラ出歩いていたかもしれない。
梅が咲いているときれいなのだがな そして、五條天神も引っ越してココに来たそうだ。元はアメ横の方だったらしいが、引越し理由までは知らない。火事かなんかだろうか。そして、ココの天神様は、何故か医薬の神様でもある。学問の方は表看板にしていないが、実はゴトー一族はココに頼って結構いい感じである。弓道場があるせいか、絵馬が「弓の的」と言うシンプルなのも、ゴトー的に「美しい!」とさえ思っている。
所でゴトーが行ったのがもう1ヶ月前だよ。実は、今年は買い忘れた…。社務所には、返還された「ウソ」が三宝にぎっしり!…か、かわいい。思わず「撮らせてください」と言って、三宝を出してもらってしまった。
 知らない人のための「ウソ講座」(笑)ウソは、漢字で書くと「鷽」と言う難しい字だ。そういう鳥がいて、その名前に引っ掛けて、正月の25日に天神さんでは「ウソ替え神事」と言うのをするのだ。去年の悪い事とかは「アレはウソに反してしまい、今年からはキレイな身になる」という、一種の穢れ払いなのだが、「嘘がチャラになる」というというので水商売の人に人気だったそうだ。余所は知らぬが、ここの天神様は正月三が日と神事の時にしか出ないウソ達には2種類いるのだ。普通は「銀頭」だが、「当りの金頭」がいるのだが、何年も買ってもいまだに当った事がないゴトーである。いつか「当り金頭」に会いたいものだ。


旅日記 | 18:04:35 | Trackback(0) | Comments(0)
近くを歩く(ドーミーイン秋葉原) その5
 「ゴトーの首は曲がったきりだ」
 「お化け灯ろう」のすぐ隣りに上野のお山の「たんこぶ」程度の土の盛り上がりがあり、その上に「パゴダ」がある。「パゴダ」って言うのはミャンマー語らしい。直訳すると、仏塔で、サンスクリット語では「ストゥーパ」という。何物かというと、仏陀のお墓。聖人にありがちな事で、分骨に分骨を重ねて、舎利(お骨)を納めた土饅頭のようなのがあちこちに作られたわけだ。漢字変換されるうちに「卒塔婆(そとば)」になって、まったく別物になったのは、かなり有名な話だと思う。本来の機能の方は、強烈な中華文明の波に洗われて、五重塔とか三重塔に変貌したのは、多分一部の人には常識である。(笑)
 「あ、ら〜?」
 変だ。ネコの額のような狭い頂上が、さっぱりして、なおかつ賑やかだ。もっとこの辺は寂れていたというか、この土盛りは実は古墳で石棺がむき出しで、犬やネコの里親探しのボランティアの人たちくらいしかいないような、そんなところなはずだ。ゴトーは首を30度くらい傾けまま、固まった。
 「お茶、飲みませんか」「…はあ」
 いつも閉まってる記憶の「パゴダ」は開いていて、中の仏像さんはニコニコしてるし、その前に売店のようなのが出来てておみクジやお札やお茶なんか売ってて、そこの坊様が小さな盆に小さな湯のみを乗っけて、何事もない様に立っていた。そして「合格大仏」のノボリがハタハタといく本もはためいている。…、変わりすぎじゃない?
 坊様に勧められる茶を飲み、ニャンコみくじをひいて、とりあえずお参りをして、気を取り直して聞いてみた。
 「あの、ここ、古墳ありましたよね」
 「ありましたね」…坊様の答えは、実に「色即是空」だった。
 そして、ココに立ち寄ったのは、別に「パゴダ」のためではない。「上野大仏」のためである。上野にだって、昔は大仏様があったのだ。これも昨今は、トンと有名になっているので知っている人も多いかも。大仏様と言っても、鎌倉ほども大きくないが、鋳造するにはちょっと大変なくらいには大きい。落ちても挫けないあたりが、合格へのカギか?!今は、顔だけになってしまわれているので、その規模は分かりにくいが、地震で首が落ちちゃった時の写真とか見たことがある。道を歩いている人と比べても、それなりに大きい。そう、この大仏様はたびたび壊れてて、写真記録が残っているほど最近まで上野におられたのだ。それが、「合格大仏」…。彼は、また新たな人生を踏み出したようである。そんな大仏様に、幸多かれとか思うゴトーであった。南無〜。 


旅日記 | 11:43:11 | Trackback(0) | Comments(0)
近くを歩く(ドーミーイン秋葉原) その4
「百年ちょっと昔の、上野のお山は…」
 昔、友達と上野の山に行った時、「昔々、戦争があった時に」と言ったら、太平洋戦争の事だと思われてビックリした。うん、まあ、その辺も昔には違いないのだが、「上野のお山限定」と言ったら幕末の彰義隊の戦いじゃろう?セゴどん(西郷さん像)の後ろに慰霊塔だかなんだかあったはずだぞと言ったら、「そんなところに?」と、都民とも思えぬ発言。いや、こういうのは案外灯台下暗しか。…ゴトーも東京タワーには上った記憶は無いしね。
 百年ちょっと前、上野のお山には死体がゴロゴロしていたのだ。
 いわゆる薩長の官軍と降伏否定派の幕府軍が、上野のお山でドンパチをしたのである。そのあたりから、上野のお山はズンズン変化を遂げて、プチ万博みたいな物の会場になったり、その流れで動物園や博物館のある学芸エリアになったりしたわけだ。相変わらず、かなり乱暴な説明だが、短くするとそんな感じ。
 ゴトーはすごく小さい頃から上野のお山には行っているのが、その記憶の中でもお山の様子はずいぶんと変わっている。科学博物館のクジラがシロナガスクジラの骨格標本だったり、ちょっと前の戦争(太平洋戦争)で怪我した人が公園内で座っていたりしたのが、多分一番古い記憶。どこでだったが、近所に住んでいるらしいお祖父さんが「この柱の穴は、官軍が打ち込んだ鉄砲の跡だ」と言う話をしてくれたのも覚えている。今の上野のお山では見られない風景だ。
 なんだか今回は殺伐した話ですまない。
 上野のお山で、見ると「あらまー」なシリーズを取り上げるはずだったんだが…。だいぶ最近は、「変なもの」好きが増えて雑誌にも取り上げられたりしているので、少しは有名になっているのだろうか。久しぶりに行ったら、ココもキレイに変貌していて、ゴトーのほうが「あらまー」な状態になったところがある。パゴダのある辺りだ。
 東照宮(あるんだよ、東照宮が!)寄りちょっと陰になっているところに、別に何かに変化するわけではない「お化け灯ろう」がヌボーと立っているのは、どのくらい有名?東照宮の前の石灯ろう群を見てからだと、その「ヌボー感」が良くわかる。この灯ろう達は、基本的にゴマすりで奉納されたらしい。まだ東照宮が建ってすぐの頃、「よっしゃ、俺は目立つぜ!」と馬鹿デカイ石灯ろうを奉納した人がいて話題になったのが、あの灯ろうラッシュのキッカケだそうだ。ちなみに、この奉納者の佐久間さんは京都や名古屋にも灯ろうを奉納しているので、かなり灯ろうが好きなのかも(笑)


旅日記 | 09:49:15 | Trackback(0) | Comments(0)
近くを歩く(ドーミーイン秋葉原) その3
「上野は、お寺の山だから」
 上野のお山と言ったら、やはり「花見のメッカ」だろう。江戸時代なんかは基本徒歩だし、神田界隈は職人町だから、お金をかけない娯楽としては最適だったんだろうね。でも、「歌って&踊って」のバカ騒ぎは厳禁、夜桜見物は禁止だったそうだね。なんと言っても、「宮様」はいるし、徳川家の菩提寺もあるので、静かにお上品に見て歩く分にはOKだそうだ。女性や子供は、かえって安心だが、酒飲んでキャーキャー楽しみたい人たちは、隅田川や飛鳥山に行くのだとか。
 今はそれらの建物のほとんどは、美術館や博物館や動物園になってしまったから、桜の季節には地面はブルーシートを敷きまくり、夜も屋台のオデンをツマミに飲んだくれる人々を踏みながら桜見物である。
 それでも、お寺はまだまだあるわけで、ゴトーが直進した道は、突き当たり、右に曲がった小さなお寺がある。一見普通だが、中に入ると「地蔵がみっしり!」だ。入り口のちょっと大きなお地蔵様に目を取られてはいけない。地蔵好きにはたまらんかも…奥にはブロックの壁にもギュウギュウに並んでいるぞ。「八万四千体」だそうだが、そういうの「本当か?」と思うところが多いのだが、有無を言わせぬ説得力が、整然と並んでいる地蔵様達にはある。数えてみたい人は静かに、そっと回ってみてね。ちなみに入り口の近くの大き目のお地蔵様は、江戸六地蔵の一つを再現した物だそうだ。あと五つは、どこかで聞いた事があるがすぐには思い出せない。
 異次元にドーンといってしまったかのようなその小さなスペースを出て、割とすぐの某有名洋菓子店で手土産を買い、別ルートで上野のお山に戻る。と言っても隣りの通りなのだが、寛永寺があるのだ。上野のお寺と言えば、寛永寺だ。宮様がお住まいだからさぞや立派だったろうと思うのだが、上野のお山の戦争で燃えちゃったんだよ。写真おじさんが同じアングルで撮ってた(笑)今あるのは川越(埼玉)の喜多院の物を移築だ。でも、それなりに立派だ。たとえ、同じ敷地に幼稚園があっても!
 コレで一周して、いわゆる「お山」の敷地内に戻ってきたかな。

…て、書き始めからどんだけ間が開いてんじゃろう…(汗)
さぼってんじゃないよ〜、すまんのう。本当に忙しいんじゃよ〜。
 

旅日記 | 11:06:14 | Trackback(0) | Comments(0)