投稿日:2006-11-16 Thu
「王道なんじゃないかと思う」前述の通り「あーだこーだ」で、出発が11時になってしまった。そこで、今日は割りと「箱根観光」では「王道に近いコース」を行くことにした。「それじゃあ、冒険じゃ無いじゃないか」と思うでしょうが、ゴトーの周りの人たちが大冒険だったりするのである。
そして、「王道コース」だから皆様も安心してゴトーの行った所に行ってくだされ。多分、行った事があるだろうけど…。
「どこへいくの?」さっきロビーにいた三浦オトーサンが来るまで通りかかって、声を掛けてくれた。でも、昨日、バス停からのタイムを計り忘れたから歩いていきますと言ってお別れ。行きと違い帰りは下りになるので、ことさらゆっくりとゴトー的には牛歩戦術?なほどに歩いてだいたい7分くらいで「強羅口」バス停まで行くが、もし「施設めぐりバス」をご利用なら、もうちょっと先のカーブの所のバス停だからして、ご注意あれ。
ここからバスに乗って、「元箱根」へ。せっかくのフリーパスなんだしね。所で何で「元箱根」か知っているかい?マ「芦ノ湖の南に新しく箱根町が開けたから」そうなんだけど、元はバスが通っていった湯坂道がメイン街道で箱根神社前に抜けられたから。江戸時代に箱根町の方に関所が出来てそっちが、東海道と言うメイン街道になったからだって。モチロン、仙石原やら通り抜けの出来そうな所は関所があったから、関所破りはそれなりに「コツ」があったらしい。破った事無いから知らないけど(笑)
バス停から湖畔沿いを歩いて、箱根神社へ。757年に萬巻上人が開いたと言う事になっている古刹である。「む?上人だと?」と思った人は、本当は分かっているだろう!と、逆に突っ込みたい。その通り!坊さんが神社に関係しているのは、昔はべったりくっ付いた関係だったからだと言うのは、前も話したよね。で、来年は1250年記念で、色々イベントをするそうだ。
ここと伊豆山神社は、毎度おなじみ源頼朝をバックアックアップしてくれたので、ものすごく信頼の厚かった所であ〜る。それ以外にも有名人の寄進やら由来の品やらがいっぱいあるので、ちょと古びて小さい宝物館だと思って、スルーすると歴史好きや、特に歌舞伎好きにはちょっともったいない。これまた伊豆では外せない曾我兄弟の物や、「おのおの方、討ち入りでござる」の大石蔵之助の書き物があるのだ。ここも来年に向けて「新宝物館」がオープンするので年明けに来てもいいかもね。可哀想なケースに入っていたコたちが、さぞや立派な事に…。
「そうだ、平和の鳥居にもちょっと行ってみよう」遊覧船から見える、湖に立つ赤い鳥居の事だ。何となく広島の厳島神社を思い出すが、コレは新しい。扁額は、元総理の吉田茂氏だったはず。この鳥居を背にして神社の方を見ると見上げるほどの真っ直ぐに伸びた階段である。階段嫌いの人には、乗用車でなら本殿のすぐ横までいける道があるが、何となく裏口から来ましたっぽい。足が丈夫なら、途中には立派な杉や、曾我神社などがあるので階段でどうぞ!曾我神社自体は新しいけど、曾我兄弟の弟・五郎がここで稚児さんをしていたので、まるっきり「なんちゃって史跡」ではない。でも、前を歩いていた人が「うはっ…」っというので、そちらを見たら、4人ばかりの人が曾我神社の社殿の前でナゾのステップを踏みつつ拍手&拝礼をしていた。それがまるで、新体操の団体競技のようにぴったりと息が合っているのが、「何かの儀式?」と思わずにはいられない。ちなみに、本殿でも横並びのシンクロぶりで、写真を撮るのもためらわれるほどだ。神社拝観人生も結構長いが、初めて見るよ…。
マ「そういえば、五郎稚児饅頭ってのが売ってたね」でも、五郎が稚児の時は「筥王」と呼ばれていたのだ。そして、五郎は元服後の呼び名である。もう一つ言えば、「義経」がチビッコの頃は「牛若丸」で、お寺に入って稚児の時の名前が「遮那王」で、元服して「九郎義経」になるわけだ。どうだ、面倒くさいだろ〜。
ちなみに、普通は稚児になると言うのは将来お寺で修行をして坊さんになるのだが、稚児は半分まだ「一般人」だ。坊さんになっても一般人に戻れなくは無いけど、すぐには髷が結えないでしょ?だから、坊主頭になる前に「遮那王」はお寺を脱走して、自分で元服して武士になってしまったわけ。五郎も、タイムリミットギリギリで脱走して、北条氏に烏帽子親(元服の後見人)になってもらって、坊さんにはならいで「仇討ち人生まっしぐら」だよ。なんで義経や五郎が稚児になったかというと、親が不幸な亡くなり方をしているので、その供養のためなのだが、「奥さん、ずばり答えましょう!!」と言うには、色々めんどくさい説明がくっついて来るので、どうしても気になる人だけ連絡を下さい。…あ〜あ、五郎の話だけで話が長くなってしまったじゃないか…。
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