■プロフィール

ワンコ後藤

Author:ワンコ後藤
ワンコ後藤と申します。
町の変なモノを愛し、たいがい徒歩で移動します。
共立の社員であり、ホテルとその近隣を紹介します。

■最近の記事
■最近のコメント
■最近のトラックバック
■月別アーカイブ
■カテゴリー
■ブロとも申請フォーム
■ブログ内検索

■RSSフィード
■リンク
■Powered By FC2ブログ
修善寺タイム・トラベル(湯回廊 菊屋) その5
「独鈷の湯はどうだい?」
 「お勉強編」で出てきたカバ殿のお墓は、頼家さんのお墓と川を挟んで対角にある。でも、こちらはお店も何も無い斜面をユルユルと登っていく。(静かだ…)日差しに汗を拭った。
ルルルルルルルルルルルルルルッ!「はわっ!!」背後で不意打ちである。もとい、リュックの中にケータイを入れているのだ。実話なんだよね(マ)慌ててリュックを下ろしてチャックを開くっ!ペットボトルが飛び出す!「あわあわあわっ…」何をやっているんだか。
 『もしもし、広瀬です。今どこですか?確か頼家のお墓の方に行くって言っていませんでしたっけ?』「いえ、もう通り過ぎてます。今、範頼さんちです」『そこ、どこ?どこであえるかしら?』「じゃあ、間をとって独鈷の湯で」…ビックリしたなぁ、もう。
静かないい所だよ さて、カバ殿のこと範頼さんのお墓だが、漱石先生も来たいポイントだったのである。ここで墓を管理していた人が作った菊をお見舞いにもらったからと言うのと、大親友の正岡子規も修善寺に来て「此の里に悲しきものの二つあり 範頼の墓と頼家の墓と」と句を読んでいるからだと思う。自分も死にかけたから、一層思うところがあったのだと考えちゃうのだ。
マ「子規と言えば、『柿食えば鐘が鳴るなり法隆寺』の人で、漱石先生の学生時代からの親友で、先生が留学中に若くして亡くなってしまった正岡さんだね」マメ、説明ご苦労。その正岡さんである。知る限りでは、二人はなかなか愉快な学生時代だったようである。
 しばしお墓を眺めて、広瀬さんとの合流地点へ。
 ここから独鈷の湯へ行く道も、ひなびた感じの店があり結構好き♪途中、新井旅館で文化財見学ツアーをしていると言うポスターを見かけて、申込みをしてみた。この前の台風騒ぎでずいぶんテレビにも出たので、知っている人も多いと思う。開業は明治だが、三代目の主人の人脈が凄くて、有名人がイッパイ泊まっていたり、その人たちのアドバイスによる建物ありで、一部公開しているのである。昔から、菊屋、あさば、新井旅館が修善寺の名物旅館三羽烏といった所かな。
 その後、こちらからかけようとしたが、やっぱり先手を取られて「ワタワタ」する。すると、広瀬さんは竹の小径の入り口の茶屋にいるとの事。楓橋のたもとまで行ったら、若い娘さん達とまったりとなごんでいた。「?」
 娘さん達は、菊屋のレストランスタッフで、休憩時間なので甘いものを食べに出ているとの事。意外とフカフカなんですよ、マメちゃんは昨日ですっかり友達になった広瀬さんから紹介されて、マメをキャリーから出して「今晩は、よろしくね」と挨拶をする。「それにつけても暑いわねぇ」「広瀬さんがいるからっすよ」「そんなことはないって」と「カンカン照り」の理由をお互いのせいにしつつ、しばらく涼んでから今日で帰る広瀬さんをお見送りである。
 「お気をつけて〜!」
数年前まで入っていた人がいたんだってねえ。怖いねえ。 楓橋のたもとに、独鈷の湯があるのだが、昔は目の細かい柵だったのが、大水で流されやすいと言う理由ですっかり簡素になっていた。もっと昔は入浴もできたそうだが、こんな店や旅館に囲まれた今では、「勇気が必要」以前の問題である。今は足湯として愛されているが、昔よりお湯がぬるくなっている気がするのだが…。
 大昔なら、川で裸になろうがなんだろうが構わなかっただろうけどねぇ。それどころか老病の父を川で洗っていたくらいだし。
マ「それだけだと、虐待しているっぽいよ〜」
 ええ〜、有名な話じゃないか。貧しいからお風呂に入れて上げられない父親を、さっぱりさせてあげたくて川で洗うんだよ。それを見かけた通りがかりの空海さんが「川の水では冷たかろう」と川の中の岩を独鈷で叩いてお湯が噴出して、そのお湯に浸かった父親の病気が治ったという、修善寺温泉の始まりはじまり…って、何をどう話せばいいか、いつも困るんだよね〜本当に知らない?会社で話しをして、クラッっときてしまった。う〜む…。
 流石に空海さんは知っていると思うのだが?雑学的には、「弘法大師」は死後に贈られたお名前で、水(温泉)関係の伝説を多く持っている、大唐帰りの留学生だった人なのだ。ま、ゴトーの中では日本三大超人の一人かな。
マ「あとの二人は?」
 もっちろん!役の行者と安倍清明だな。皆さんはどう思う?


旅日記 | 12:50:31 | Trackback(0) | Comments(0)
修善寺タイム・トラベル(湯回廊 菊屋) その4
「修善寺の町をだいたい半周」
 そういえば岡本綺堂が「何で頼家公のお墓におみくじ?」という内容の文を書いていたような気がしたが、確かに年季の入ったおみくじ機が墓前にあった。100円とかすかに読めるので入れてみた。チャッ……。引っかかっているっ!お金見えてるけど、取れないところで止まってるがなっ!
本当に蹴ったら壊れますから!マ「ちょっとー!100円入れたわよ――!!」ドンドンドンッ!
カッ…コ―――(お金が転がる音?)カチャ…。
マ「ちょっとー!!出てこないじゃないわよ――!!!」ドンドンドンッ!…と、まあ、少々マメが暴れたが、入り口の奥に引っかかっているおみくじをゲット。《修善寺八景見立おみくじ》『梅林の不二 末吉』。渋い…。しかし、頼家さんが出しているなら、少しは性格が丸くなったのかな。とりあえずあんな目にあっていたら、ゴトーなら半分くらい「凶」入れちゃうね。
ゴトーは猫も好きだ さて、指月殿の階段を降りたところで、竹に彫刻をする店のおじさんをガラス越しにそっと見守ると、安心したようにマットにころりと横になったニャンコがいた。店の看板娘、モモ子ちゃんというそうだ。初対面のゴトーが撫でてもOKな、大変愛いヤツよのう。ほっほっほっ(背中を撫でて大満足&癒される)
マ「そういえば、岡本綺堂って誰?」
…(上の方を見る)。ああ、説明入れてなかったっけ。ゴトー的には怪談や半七捕り物帳を書いた人だけど、修善寺的には戯曲「修善寺物語」を書いて、修善寺を有名にした二大作家の一人。菊屋の漱石先生、新井旅館の綺堂さんって感じ?
 …綺堂さんを多分知らない人がいるってことは、少なくとも一定年齢以下の人は話しを知らないだろうから、簡単に言っちゃうと「修善寺物語」は、先ほどの頼家さんが幽閉されている間に、自分の顔の面を面打ち名人の夜叉王に作ってもらおうとしたのが、事の発端。お土産のパッケージで頼家さんに寄り添っているのは桂さんそこの家には桂(かつら)と楓(かえで)と言う美人姉妹がいるのだが、性格は正反対で、姉の桂が玉の輿を狙って頼家さんの侍女になるも、暗殺団がやってきてしまうとと言うお話し。興味のある人は、ちゃんと読んでね。
 猫の店の前の細い階段を下りると、公園になっていて、その左手が「竹林の小径(こみち)」の入り口で「かつら橋」の赤い色が緑にキレイだ。橋から上流を見るとやはり赤い橋が見えるが、「かえで橋」という。その理由はもうわかったでしょ?
うーむ。どうだろう? フォトポイントらしく、ケータイやら小型カメラやらで写真を撮る人がかわるがわる屈伸運動をしている。ゴトーも「川+橋+緑」が上手い事収まらないかとスクワットのような動きをして一枚。

マ「竹林の小径は、川が近いから風が通るし、日陰だから涼しいねぇ」

ややあおり気味だから? とはいえ、あまりの日差しの強さに白い毛皮が反射して、マメの小さな目が消えて、眉毛が笑った目に見える〜!
「火炎太鼓」と言う題目だね この辺は景観を大切にするために、消防団の設備も昔っぽい。登りたくなるが半鐘はダメだよ。オジャンになるからね。(おっと、また落語オチを使ってしまった)
 通りに戻ると、射的やパチンコなどのお祭の時の屋台でしか見ないような遊技場が、お店としてやっている。うち一軒で、男性四人組がスマートボールで大盛り上がり!「オウッオウッ!」と激しくオットセイ化しているのを目撃して、ちょっと笑う。精神年齢がタイム・トリップしていますよ〜。
この夏一番と言うほどに、暑い… 「それにつけても暑いのう」再び川の方に行くと、「赤蛙公園」という細長い、小川の流れる広場がある。川に挟まれて涼しい事は涼しいが、木の下のデッキチェアで寝ている人は、やっぱり日に焼けると思うがどうだろう。マ「足はバミューダ焼け。手は腕を組んでいるから、ブチ…」そう思うよねぇ、ゴトー自身、デコとか鼻とか日に焼けそうな気がするもん。
 この公園の名前は哀しいが、もういちいち追いかけるの大変だから来て説明書を読んで。暑くて脳が溶けそうだ。そんなゴトーの心に一陣の涼風。あと見てみたいのが菱の花なんだけど…「あ、藻に花が咲いている!初めて見たー!!」
 後日、ゴトーに父からのプチ情報「それが花びらが5枚なら、梅花藻(バイカモ)という、水のきれいなところで咲く花だね」とのこと。でも小さいし、近くの寄ると流れにはまりそうなので花びらが5枚なのかはわからない。つうか、話しだけで即答してくれる父も変かも…。
キャッチボール方式と言うそうだ そのまま「風の径」という発電所みたいな施設の間を通る道を行く。が、これは温泉を有効利用するためのもので、同じ説明が菊屋の「菊の湯」の所にも書かれている。「ふ〜ん…」なんだか少しおりこうになった気がするが、どこまで持つかが今後のゴトーの課題だな(苦笑)


旅日記 | 10:30:48 | Trackback(0) | Comments(0)
修善寺タイム・トラベル(湯回廊 菊屋) その3
「頼家さんの家庭の事情」
 その後は川っぷちの賑やかな方へ。そっちの方に歩いていくと「筥湯(はこゆ)」と言う大変目立つ施設がある。もともと修善寺にはもっと外湯があったそうだが、今は「独鈷の湯(とっこのゆ)」とこの筥湯だけとされているのだが、筥湯は最近復活した共同湯で、独鈷の湯は現在は足湯としてしか許可されていない。ちなみに、外湯と言うのは旅館などのお風呂を「内湯」と言うのに対して、誰でも入れる共同温泉の事で、単純に露天部呂の事ではないから(笑)。筥湯って言うくらいだから、昔も簡単な小屋掛けの、外湯の中でも高級外湯だったと思うんだけど。いやしくも「元・将軍様」がお入りになっていたんだから。
マ「その微妙な笑顔は、いったい何だい?」
ヤな話だよなぁ筥湯の入り口に頼家さん由来がお湯の名だと書いてあるのだが…、この人のおじいさんもお風呂場で暗殺されているんだよねぇ。無防備だからねぇ、入浴中は。何だか、頼家さんのこの件に関しては色んな話しを読んだ気がする…。
マ「のっけから殺伐とした話だのう」
引き出しが開くんだよ、タンスとか。うむ。ちょっとホノボノしにいくか。この辺は細工物の店が多くて、筥湯の前にもゴトーの好きなミニチュアのお店とかがあって、マメから見ても小さすぎるブタの蚊取りとか、風鈴屋さんとかが楽しい。基本的に民芸品屋さんに力が入っている。そういえば漱石先生もアケビのツル細工を知り合いのお土産に買ってたりするので、修善寺にはそういう伝統があるのかもしれない。
結構狭い。そして雨の日は滑ると思う。注意してね。 さて、なごんだ後は頼家さんのお墓&指月殿(しげつでん)に行くのだ。常々思うのだが、どうしてこの時代のお墓って高い所にあるんだろう。まあ、エライ人のお墓が谷間にあるのも変なものだが。
右手の手水で水を飲んでいる人がいて…(困惑) 階段を上がると指月殿のお堂が見える。小さいです。これもわけがあって、修善寺自体が戦乱に巻き込まれたりなんだりで焼けたりしているので、むしろこのお堂の中身が残っているのが凄い事かも。普通、ある程度有名なのはケースとかに入っちゃうのに開けっ放しで見放題のお釈迦様の坐像は、政子さんが頼家さんの菩提を弔うために作ったと言う事で、手に蓮の花を持っているのが特徴。普通のお釈迦様は、手に何も持たない。如来で物を持っているのは薬ツボを持つ薬師様くらいじゃなかろうか。お花を持っている辺りが「政子さんの複雑な母心」の表れなんだそうな。
 それから、ここの両隣におられる力士像は、もともとは修善寺の山門にいて、門がなくなったらあのコマ犬のいる八幡に身を寄せたのだが、「修善寺に帰りたい」と訴えたので、こちらにいるのだそうな。カエルみたいなコマ犬とは仲良く出来なかったのだろうか。
マ「そういえば、将軍様なのに何故に暗殺?っていうか、それ以前に幽閉?それって、将軍様っぽくない扱いだよねぇ」 江戸時代の将軍様とは、一般の認知度が違うから。そして、今の感覚からすると18歳は未成年、昔は一応大人扱いなんだけど、周りからしてみれば「まだまだ」な微妙なお年頃。そんな頃に頼朝パパが急死して、家督を継ぐわけだが当然ママの実家の北条氏に仕切られる毎日。ま、一筋縄でいく話しじゃないんだが…運が悪い事に、頼家さんはやる気があるけど、実力は伴わない…若いから。でも、自分の思うとおりに生きてみたい…若いから。
マ「古株が付いてこない若社長みたいな状態?」そーだねー。
 さらに運の悪さは続いて、まだ若いのに突然高熱で危篤状態に!頼家さんがウンウン唸っている間に、「頼家の子供はまだチビっ子だし、弟の実朝と半分こって事で」と北条さんが決めちゃっているんだな。それを聞いて頼家さんの嫁の実家が「うちの孫が将軍になるのが当然じゃん?」と大変むくれる。これを難しく言うと「比企の乱」というのだが、北条さんの方が一枚上手だから失敗して、嫁の実家(比企氏)は滅ぼされちゃうのだ。病気から回復してみれば、もう何も残されていないどころか「将軍は弟が継ぐから、君はもう用ないから」とポーイと幽閉されちゃって、あげくは暗殺されて、現在に至るってかんじ。
手前の石は、江戸時代のものだ写真を撮るのはちょっと大変マ「ゴトーの説明って変だって言われるでしょ?」うん、でも大掴みは間違いないはず。こんな小さい石塔が現在のお墓であるが、遺体は指月殿に埋めてあるって、…本当かなぁ…。



旅日記 | 09:36:02 | Trackback(0) | Comments(0)
修善寺タイム・トラベル(湯回廊 菊屋) その2
「明治時代のメイン道路へ」
 総合会館に郷土資料館(と言うか、資料室)があるのだが、木曜日は休館だったので、珍しくお昼の時間におそば屋に入る。この辺の名物料理がソバと、黒米を使った料理だけど、こう暑いとやはりソバでしょう。トロロとツユの2パターンの味が楽しめるソバは、カケとモリしかないというソバ専門店だけにソバは美味しゅうございました。でね、この見事すぎるワサビなんだが、使い終わったらお土産で持ち帰れるのだが、この先の事を考えてそれは辞退。お値段もそれなりだが、煮物も付くし、満足して外に出ると「あの人」がたっていた。
「あら、ゴトーさん」
ええ、びっくりしましたとも 狭い町だから当然ありえるのだが、旅のコンシェルジュ・広瀬さんは昨日から来ていたのだ。広瀬さんはゴトーとかなりの点で正反対。縦にも横にもキッチリ育っているゴトーに対して、小柄で痩せてて、例えば冷やし中華と大盛天津丼をたのんだら、絶対冷やし中華の方を置かれてしまうような外見である。が、小食王・ゴトーが冷やし中華で、大盛天津丼が広瀬さんなのだ。そんな凸凹コンビなゴトーたちは、出会うと「晴れパワー」が急上昇するらしい。精霊界だが天地のオーラだか知らないが、無茶苦茶な晴天を呼び込む傾向にある。「びっくり晴天」な空の下、簡単な情報交換をして、「じゃあ、また」と別れた。日差しが一段と強くなったみたいな気がする…。
マ「もしかしたら、広瀬さんに近づくにつれて晴れたのかなぁ」
ははは、そうかもね〜。
 ところで「みゆき」「かつら」「かえで」と言うと何でしょう?飲み屋のお姉さんの名前っぽいが、桂川に架かっている橋の名前だ。
脇には『十三士の墓参道』と言う道標が… ゴトーは少し戻るコースで「みゆき橋」へ。漢字で書くと「御幸橋」。もう少し難しく言うと「御行幸の橋」を意味するって…わからないよねー。天皇様のお出かけを「御行幸」、将軍様なら「御成り」なんだよ。あっちこっちに「みゆきのナントカ」「御行幸のナントカ」ってあると思うけど、そのお出かけがネーミングの由来だね。
マ「その割には小さいよね」…作ったのは大正時代って書いてあるから、その当時はコンクリの橋はイイ感じだったんじゃない?いまは、川沿いの方がメインだけど、昔は橋を渡った道の方がメインストリートだったそうだ。菊屋の番頭さんから教えてもらったし、左にちょっと坂を上ると明治45年製の小さな教会があるので、モダンな道だったと思うのだが、今は普通の道なんだよねぇ。
白いから、空に溶けちゃうんだよねぇ この小さな教会は「修善寺ハリスト教会」っていう、ロシア正教会だ。ロシア正教会って言ったら、「御茶ノ水のニコライ堂の同系の所かぁ」って言う事しかわからない。仏教ですら手一杯なのに、他宗教はもっとわからないが、建物はとても可愛い。木が邪魔でちゃんと写らないが残念である。鏝絵?建物の下のほうにあるですよ軒下のブドウ模様は貴重だと看板に書かれていたが、可愛い建物は細部にわたって可愛い。中に入れないのだが、管理とか信仰の問題があるんだろうと思うんだ、この手の建物は。でも、入りたいな〜。見ても何だかわからないんだろうけど、かわいんだも〜ん。
 束の間の「可愛い〜っ踊り」を踊ったあとは、対極の「地味君達」のところへ。正しくは「十三士の墓」といって、頼家の死後5日目に決起して死んでしまった忠臣のお墓と言う事になっているのだが、ゴトー的には「なぜ5日後っ!?」って感じだ。普通、当日に奮戦するでしょ。だいたい、13って数がアレだよね。全国的に供養搭の数らしいねぇ。
実物も崖下の洞の中に小さな塔が草に埋まって並んでいるので、気負って階段を上っていくと、ちょっとガッカリかも。三年ぐらい前に見に行きましたとさそして今回は、さらにガッカリな事に、道路閉鎖されていた。マ「地味で寂しさが、50%増って感じだねぇ」途中で引返して、いかにも住宅地な道を歩く。なんだか次々と犬に、吠えられる。この辺は番犬としての職業意識に燃えている連中が多いようだ。
多分、ホテルはもう近いはずマ「あ、『菊屋』の従業員寮だ」
ほんとだ。「寮の会社のホテルの寮」なんて、マトリョーシカ(入れ子人形)みたいだねえ。


旅日記 | 10:12:59 | Trackback(0) | Comments(0)
修善寺タイム・トラベル(湯回廊 菊屋) その1
「修善寺の変なものたち」
マ「ぱっとしない天気だ…」 リターンマッチに燃える、ワンコ・マメ・ゴトーは、ネットで天気予報のチェックだ。一日目が曇り→雨、二日目が曇り時々晴れ。
マ「何だかビミョー?」
 さて、次の日。朝は確かに曇りだった。修善寺に行くには新幹線で三島、そこから伊豆箱根鉄道がポピュラーだと思うのだが、ごく数本だが東京発の踊り子号で修善寺行きがある。それに乗ると、乗り換え無しで修善寺駅までこれるのである。
「首だし」って、誰が考えたんだろうねぇマ「伊豆と言えば、やっぱり『伊豆の踊り子』だよね」 ほがらかを装っても、天気は悪いのデス。しかもパラッと雨なんか落ちてきて、ゴトーの眉間にはシワが寄っているのデス。
マ「…やはり、雨犬なのかなぁ」
普通はこの右手にあるバス停でバスに乗るのだ。沈むマメだが、雨はすぐやんだのでまあ良しとしよう。そして、やっぱり駅からは歩いていくのである。でも。今回は何時間も歩く距離じゃないから。バスで8分だから、せいぜい30分くらいなので初心者の人でも安心だね?もっとも、ゴトーの場合、もっと時間がかかる事かもね。「寄り道マニア」だから。
 駅からすぐの赤い橋で「狩野川(かのかわ)」を渡ると、移転されてこちらにいるのだ〜いきなり橋の脇に「何だか不安定な笠地蔵」が目に入ってきた。幾度も落ちたらしい大きな欠けと、落とすまいと言う熱い気持ちで頭に固定されているのが印象的だ。これは気合が入っているな思って説明看板を読むと、やっぱり熱い気持ちが溢れていて…過剰に北条氏が悪人になってるんだけど(笑)。その説明によるとこのお地蔵様は、「愛童将軍地蔵尊」と言って、修善寺で頼家さんが我が子を偲んで、里の子供可愛がってくれたので、その死後に里人が供養に作ったのだそうだ。詳しくは看板を見に来てくだされ。
マ「頼家さんがって、スルーしているけど、ほとんどの人が知らないでしょ。知っている人しか知らないよ、歴史は」
いわゆる「源三代」ってヤツですな うん、図にするとこんな感じ。鎌倉は直系は三代までなわけで、北条氏の執権政治になるのは、中学校を卒業している人なら知っているはず。でもまあ、時代くくりは鎌倉時代というんだけどね。
マ「で、将軍様の頼家さんは、幽閉されちゃうんだ?」
 すんごく簡単に言うと、「運が悪い」と「北条氏の陰謀」かねぇ。もう将軍になった時点ですでに「運の悪さ」がスタートしているのだ。逆に言えば、北条さんの思うツボ?その辺のハナシは、おいおいしていくので、お暇でしたらついてきて下さいまし。
マ「読んでる人は、ある程度暇かと…」
ここの消火栓は、赤だね この端のちょっと先に、八幡社があるんだけど、やっぱり小さいでっせ。ここで、ゴトー的に非常に懐かしいものに遭遇!「ハグロトンボだっ!うわー、久しぶりだなぁ」ゴトーは昔、「ハネが閉じるのは、ムカシトンボの仲間だ」と聞いたが、トンボは「勝虫」で、縁起がいいんだそうだ正確にはカワトンボで、系列的に違うらしい。トンボのくせに機敏さがなくて、羽をパラパラと上下させてフウワンフウワンって飛んでいる姿は、何だか別物の昆虫みたいだ。
マ「お、何だかやる気のなさそうな狛犬がいるぞ」
シンプルすぎるにもほどがある(笑) 確かに、「犬」というより「カエル」か何かみたいだ。こちらは「ん」だが、「あ」の方もマヌケな感じがとてもいい(笑)これが江戸時代の作だなんて。氏子の皆さんは、これでOKだったのか?
 この八幡社を出た辺りから、陽が射してきた。
気ーにーなーるー… 「誰か教えてシリーズ、第二弾」なんだけど、バス停で「うなり石」と言うのがあって、その近所に「いわくありげな巨石」があるですよ。これって、ナンカ由来があるんでしょうか?気になりますんで、ご存知の方は教えてください。
マ「でも、家の前で巨石が唸ったら、迷惑だよね」…確かに。
 見る見る眩しくなるお天気に汗を拭き拭き歩いていると、「修善寺道」と言う字が見える独鈷型の石の道標が見えてきた。ここまで来たら温泉街はもうすぐ。それにしても、30分前のあの天気は一体なんだったんだ、これじゃあまるで「あの人」がいるみたいだ…。



旅日記 | 16:06:43 | Trackback(0) | Comments(0)
修善寺タイム・トラベル お勉強編
「夢は歴史を駆け巡る」
 昔は、旅になんかでない人がほとんどだった。江戸時代以前はもちろん、江戸時代になってある程度治安面で良くなってても、江戸からすぐ板橋(池袋の近所)で「追いはぎ」が出たのだ。とにかく、住んでいる町から滅多な事じゃ出ない。海外旅行に行くようなもんだったそうだ。パスポート(手形)もいるし女の人なら「あたしぃ、この前、江ノ島にお参りに行っちゃったぁ」と言うだけで、十分に自慢の種になる。足の達者な男の人なら、お伊勢参りがブームになって、貧乏人でもヒシャクを持って(物乞いをするとき使用)出かけた、「旅行ブーム」で遠出もする様になる。何でだろう?と考えて、ハッと思いつくのが「参勤交代」。あれで全国津々浦々まで道と宿が整備されるでしょ?大量にお侍が移動するから。で、一般の人も旅行しやすくなったんだろうね。
 何でそんなことを言うかというと、1642年に参勤交代が実施されて、1650年に第一次「おかげまいり(伊勢参り〉ブーム」がくるのだ。それに先駆けて、1644年に修善寺に「菊屋旅館」が開業される。コイツがどんなに凄い事かと言うと、「江戸時代の旅の達人」の第一人者・松尾芭蕉が生まれた年でもあるんだ。「奥の細道」でも色々書かれている通り、それから何十年も経っても「旅」が一般人には大変だったのに、菊屋ったらそれ以前に堂々の開業!…あんまりそんなことを書くと番頭さんが頭痛を起こすかもしれないけど、360年の歴史をぴろっとめくって中を見てみると、どうもそんなのが見えてくるのだ。
 タイム・トラベルには、お金よりも「推測力」が重要である。
 広報のRちゃんに「誰が修善寺を京都になぞらえたのかな」と聞かれたことがあるが、あいにくゴトーは知らない。知っている人は教えてください!誰か、助けてください〜っ! さて、ここで、想像しよう。ここと京都を結ぶ人は誰だ?…範頼?範頼の故事を知っている江戸時代の人?明治に入ってからのキャッチフレーズ?おそらくその辺りが関係していると思うのだが、嵐山に桂川と言うのは京都の中でも別荘地のイメージなんだよねぇ。
それぞれママが違う兄弟なのである。 はいはい、これを見てほとんどの人が「範頼ッて、誰じゃあっ!」とお思いのことであろう。「源範頼(みなもと のりより)」は、頼朝の弟で、義経のお兄ちゃん。イラストの顔はいい加減…て言うより、誰も顔なんて知らないからねぇ(ニヤリ)。将軍様になる兄さんと、悲劇の武将の弟に挟まれて、影の薄い真ん中であるが、そんな蒲殿もキライじゃないぞ。
 おっと、「蒲殿(かばどの)」は範頼の通称だ。昔は、いきなり名前を呼ばないって知っていると、「通(つう)」ぶるときに便利だね。ちなみに頼朝は「佐殿(すけどの)」と呼ぼう。でも、理由を他人に説明する時がめんどくさいけどね(笑)
 「カバ殿」と言うと、インパクトが増大する範頼だが、影が薄くて謎が多い。「打倒平家・脱公家社会!」の戦う政治家の兄ちゃんと、「天狗が師匠だ!ムチャな戦術当たり前!」の二人の、バックアップでイッパイイッパイだった気がする。人が言うほど、無能じゃないのだよクーデターを起こした兄ちゃんは京都には来たがらないし、弟は「英雄」かもしれないが細々とした事務作業とか出来そうにないし、当時の武士はプライド高いし、公家さんちで育った範頼が戦いつつ根回しとか移動計画を出して、突っ走る兄弟たちに振り回されている姿しか思いつかない…(哀)
 そんなカバ殿が修善寺に来たのも、兄弟げんかの末…と言うとホノボノだが、実態は血なまぐさい。「範頼、義経の奴、裏切り者だから殺して来い」「わー、ムチャだよ〜」「なにぉ〜?お前も俺に逆らうのかっ」て言ったかどうかは知らないが、二人に比べればお公家寄りな「当時の常識人」な範頼は、あんなムチャな弟とケンカする気はないでしょうなぁ。そうこうしているうちに、「曾我の仇討ち」(また出たよー!伊東編参照ってことで)で、頼朝も死んだというデマが流れて、「姉さん、ボクがいるから安心して」と、顔面蒼白な政子さんに言ったのを「あげ足とってでも、敵対しそうな人は抹殺!」の頼朝の耳に入って、「俺の地位を狙っているだろう!」となったのは、いかがなものかと…。で、「修善寺に幽閉」って事になってしまうのだ。
 「子供の頃は良かったなぁ。お養父様といった、紅葉狩り、楽しかったなぁ…。ああ、京都が懐かしいなぁ」とか、思ったかもしれないじゃない?公家の家に育ったんならさ〜。
 「お気の毒な範頼公は、京都がお懐かしかったのじゃないかしら」と思ったかも知れないじゃない?平家物語とか読んでいる文化人だったらさ〜。
 「これは、集客の売りになるかもっ!」って思った商売人がいたかもしれないじゃない?いい温泉出ているしさ〜。
 そんな風に色々考えられるわけだが、カバ殿は刺客団に襲われて、住んでたお堂に火を放って自害した事になっている。気の毒すぎるよ〜。…そう思った人も多くて、火を放って逃げちゃった説もあり、ウソのようだが、本当に四国でお墓参りを漱石先生はしているのだ!やっぱりあっちこっちにお墓があるんだよね。しかも、本家と思われるここのお墓は寂れてて、明治に入って整備して墓守してくれる人が現れたので、何だか新しいのである。ここの墓守の人が、菊を作るのが上手くて(いい菊の栽培は面倒なのだ)、夏目漱石が菊が好きなのを知っているお見舞いの人が菊を譲ってもらい、枕元に飾って慰めとしたそうだ。もちろん、菊屋旅館での療養の日々出の出来事である。
 事実を拾っていくだけで、夢は歴史を駆け巡る。不思議だねぇ…。


旅日記 | 15:45:23 | Trackback(0) | Comments(0)
ちょっとした旅の幸せ(ドーミーヴィラ伊豆山) その14
「旅の終わりの業平探し」
 あ、しまった。2時になったら、ランチが終わったり、店が閉まっちゃったりするんだよね。おろおろした挙句、ラーメン屋さんに入ってラーメンを食べる。なんと芸のない…。神社みたいだよね〜 ここのラーメン屋さんの近くの和菓子屋さんは、ゴトーのお気に入りだ。見て良し(建物がステキ!)食べて良し(キビモチが好き!)なのだ。お向かいの和菓子屋もさり気にいい建物だし。
おぬし、落語好きだなっ! この四つ角に近隣地図があったのだが、「業平の井戸」だと?!おお!ビッグネームじゃないか!マ「あのねー、何度も言うようだけど、知らない人多いから!」えー?在原業平朝臣だよぉ?百人一首にも出てくるし、六歌仙だし、「春の心はのどけからまし」とか、聞いたことのある歌の人だよ。顔良し、家柄良し、センス良しで、平安時代の女ったらし…や、そういう人だと思ってくれればいいや…。マ「多くは聞かないよ。でも、平安時代の人が、ここに来るの?」ありがとう、話を振ってくれて。あのね、「伊勢物語」っていう話の主人公が、業平って言う事になっているの。でね、『東下り』っていう話があって、関東まで来るって事になっているんだけど、三河経由だからこの辺も来た可能性があるから、「なんちゃって史跡」があるんじゃないかなーっと思って。探して歩き回ったさ、グルグルとね。
何階分あるんだか、狭い所にニョロッと!マ「へえ〜、市役所って昔、御用邸があったところなんだ〜」とか、マ「樹齢100年のヤシが、日本最古のヤシなんだ〜」という小ネタをげっとしつつも、井戸の場所はわからない。むやみにグルグルと回ってしまったが、まあ、そういうこともあるさ。
風呂の湯とも言う最後に「水の湯」の写真を撮って、七湯めぐり完結である。大湯、小沢の湯、水の湯は昔から旅館の温泉に使われていたようだし、湯前神社や来宮にも近いし、池波正太郎の「梅安シリーズ」でちょくちょく泊まりに来るのはこの辺だったかも、と思うとなんでもない道も何だか楽しい。
 そんなこんなで、駅前まで戻る。
ちょっと駄菓子っぽくも見えるなぁ駅前のお土産屋さんに、小さい魚が串にささって、キッチリみっしりと並んでいるのを目撃。あまりの丹念さに、ちょっとウットリ。ゴトーにとっての熱海・伊豆山は、これに似ている。大きな見どころがあって「これに決まりだっ!マグロ一本ドーン!」っていう感じではなくて、小ネタがギューギューでかーわーいーいーってな感じだ。こういう、ちまちまギッシリ感が好きな人は、きっと好きになれると思うのだが、どうだろう。
歩きませんから…(笑) 会社に「もう、熱海駅出ます」とメールを打ったら返事が、ちょっと変。「東海道きてください」…確かに土日があるけど、東海道を歩いていたら月曜日の就業時間に間に合わないかも…。う〜む…。

*役に立たない後日談*
・小沢の湯のゆで卵は、確かに7分でぴったり!美味しゅうございました。
・例によって見難いだろうけど、踏破地図です。赤い線が1日目、青い線が2日目。2日目は、家で見たら、22008歩の大台乗り。翌日、役立たずで寝たきりのゴトーがいました…。
広域過ぎて、スンマセン

名誉挽回の旅に出るのだ〜(ワンコ達)・ワンコ・マメ・ゴトーは、自分が「雨犬」なのではないかと、心を痛めていましたとさ。ドンマイ!


旅日記 | 13:18:44 | Trackback(0) | Comments(4)
ちょっとした旅の幸せ(ドーミヴィラ伊豆山) その13
 「神様と温泉だっ!」
入り口はちょっとした森を感じる 真っ直ぐ歩けばいいものを蛇行を繰り返して、ようやく来宮神社に到着。駅名にもなっているのだ、さぞや大きいと思って行くと小さいのでビックリするので注意しよう。木の宮とも書かれていたそうだねでも、歴史は古いし、昔は大楠が7本もあったと言うのだから敷地が狭いわけがない。

これ一枚に由来書とラクガンが!デザインの桐の家紋は何方のだろう?
 ここに祭られている五十猛命と言う神様が、この地に流れ着いた時には貧しい漁村だったので、「麦こがしくらいしかなくてすみません」と奉納したら、腹ペコだった五十猛命は「ぜんぜんOK!」と大喜び。ところでこの神様は荒ぶる神のスサノオ神の子供なのに、植物の神様という温厚な神様なのだ。ご朱印をいただいたら、麦ラクガンをいただいた。ここの縁起物なんだろうね。「海の音がウルサイから大きな楠が7本ある場所に祭って」といったので、この場所に来たのだが、今は楠は2本しかない。満身創痍ですが、頑張っています!それに関しても色々あるらしいが、残っているうちの大きい方は「日本大楠ランキング」の第2位だそうだ。1位と3位が九州なのは、楠が暖かな地方の木だから、当然と言えば当然なんだけど、健闘しているよね。
 ところで来宮という神社が河津と言うもう少し南の方にもあるんだけど、、ここにも大楠がゴーンとある。そして酒と鶏肉を一定期間禁止する変わったお祭があるそうだ。ここの杉鉾別命と言う神様が飲みすぎで火事に気が付かず、小鳥のおかげで助かると言う話が元になっている。そして、熱海の来宮も「一定期間お酒を断つ誓いをする」というご利益?があって、それを守ると健康になりお金も溜まるそうだ。マ「飲まなければ健康になる人は、確かに多いだろうからねぇ」多分、なんかの繋がりがあるんだと思うよ。杉鉾別命(すぎほこわけのみこと)なんて、かなり植物の神様っぽい名前だし。だって、美味しいじゃん?マ「でも、神様なのに飲みすぎでいいのか?」んにゃ、神様でお酒大好き!お肉もGOGO!!な人って結構いらっしゃるから、やめるだけ凄いと思うね。
 そういえばずいぶん前にお昼のチャイムがしたけど、どうしたもんだかね。でも来宮の前には食べ物屋さんがないので、七湯めぐりの銀座通りのほうまで戻る事に。写真より、小さいぞ?さて、その途中に湯前神社と言うのがあって、お湯で手を洗うことが出来るけど、ココのお湯も熱いぞ!那須の時同様で「温泉=ゆせん=湯前」と言うわけで、温泉を祭っている神様だね。
「あ」というより「あはっ♪」って感じだ万巻上人(箱根権現を開基)が、煮え立つ海の温泉を山の中腹まで移動させ(どうやって!?)、漁も安全に、温泉は健康に利用する様になったと言う話だが、ここの狛犬は愛嬌たっぷりである。
初めての公衆電話も置いてあるぞ その近くに「大湯」がある。名前からして、熱海の中心的なお湯だったのだろう。間欠泉で、昔の絵を見ても周りに囲いがしてあるくらい、衝撃的に出ていたものと思われる。…なのに、何で君は犬のくせに間欠泉の熱湯で死んじゃうかなぁ、トビー!危機を察知できなかったのか?ご主人のオールコックも好奇心の強い英国人だったが、そこまで似なくてもいいのに。でも、君の死を悼んで村の人がお墓を作ったことに感銘を受けて、オールコック全権大使は「ニッポンは、ローニンの野蛮なだけの国ではなく、心優しく、真面目な人たち」と報告してくれて、日本のヨーロッパ評価が良くなったそうだから、「犬死」ではなかったんだけど。江戸から送られたオールコックの「かわいそうなトビー」と言う墓標があるくらいだから、愛されていたんだねぇ、トビー。
 ところで、間欠泉は今、止まってしまっているので、人工的に吹き上げている。駅前にも間欠泉があるけど、急にゴーっとか言われるとゴトーすっごく驚くからっ!
茹でてます、卵2個! そのすぐ近くに、七湯中唯一の参加型の湯、「小沢の湯」がある。ここではお向かいの酒屋で玉子を買って、ゆで卵を作れるのだ。玉子は一個から購入できて、塩もアルミホイルで包んだのをもらえる。もちろん、やったさ!看板には「10分」とあったが、お店の人は「7分くらい」というお話だった。待つことしばし…。
楽しいので、チャレンジしてください(マ) マ「あつーっ!」
 蒸気が熱いっす。蓋を触るのもイヤかも。卵はどうしたものかと思ったが、近くに「クズ拾い」のハサミが用意されていて、ビクビクしながら卵をつまんで買った時のビニール袋に入れたが、触れないほどのアツアツっぷり。しばらくぶら下げて歩くが、ちょっとおマヌケ♪


旅日記 | 13:24:28 | Trackback(0) | Comments(0)
ちょっとした旅の幸せ(ドーミーヴィラ伊豆山) その12
「熱海と文学」
人が入れるのか、心配だコースアウトして歩いていると、なんだかすごい建物を見つける。商店街にあるのだが、ボーンッ!て木が溢れている。
マ「緑の手の持ち主と言うより、木の放し飼いって感じだね
暖かいから植物が育つのだろう。昨日、バスに乗ったときにも乗り合わせたおばさん方が「ほらハイビスカスが咲いているわ」「違うわよ、ええと、何とかって南の花で…」(そりは、ブーゲンビリア…:心の声)「ブーゲン…リリア?」最終的には正解にたどり着いたが、ぱっと名前の出ない植物がニョリニョリと生えているから、仕方がない。
入った事がないので、内部はわからない ふいっと横道に入ると歌舞練場があった。京都のちょうちんがやたらイッパイ下がった建物を見た事あるけれど練習日じゃないのか、ちょっと地味だね。
マ「ここは、ナニ?」簡単に言うと、芸者さんの練習場かな。ここで踊りや三味線の練習をするんけど、張り紙によると土曜日にはお茶とお菓子付きで踊りを見せてくれるようだね。芸者遊びとかいくら位するのが知らないが、ネットによると熱海には芸者さんが多いんだって。何だかんだっていって、需要があるんだ…。
いかにも由緒ありげでしょ? 繁華街から少し外れて、ちょっと高げな旅館がある。元は別荘で、次に旅館に変身したこの建物は、「起雲閣」というのだ。今は開放されて、入館料も500円と言う財布に優しい資料館であり、ギャラリーであり、コンサートルームも付いている多目的施設になっている。廃墟好きとはまた別のベクトルで、古い建物好きのゴトーが熱海で一押しの物件である。
古い旅館と言うと伊東編にも出てきた東海館も古いのだが、あれは、もともと旅館として作られたから大きい建物だけど、こっちは元が別荘だから小さい所に凝りにコっているのだ。サンルームなんだよ大正時代のお金持ちが作っているだけに、不思議に和洋折衷なところあり、その後の昭和の手を入れた部分が奇妙に馴染み深い感じだったり、詳しい事がわからなくてもぜんぜんOK!それというのも、ボランティアのガイドさんが「あの天井は」とか、「この仏像は」とか話しをしてくれるからである。それはホテルになってからつけられたと、言いたい…今回は、東北の方らしいグループと一緒になったから、少々おニギヤカ。
 ある程度解説をされた後は、ココに滞在した文人のコーナーになるのだが、知っている人あり、知らない人あり。「学がねえから、こった、読めねえなぁ」と言っていておじさん、あんな達筆すぎる字はなかなか読めたもんじゃないと思うのだが?そして、おじさんやおばさんがいるとマメを出しにくい…(苦笑)
でもさあ、作家の人って、温泉が好きだよね(マメ) こちらのお庭は靴に履き替えて出ることが出来るのだが、雨だからか誰も出ていない。池には鯉がいて、斜めの地形が築山っぽいのも、作家先生が万年筆片手に、頬杖を付いて眺めているのが似合いそうな感じだ。マ「だからといって、ただ庭を眺めていても名文はかけないと思うがな」そうなんだけど、昔の作家って金持ちか貧乏人かで、中間がいないような気がするのは、ゴトーだけ?なんにしろ、ここに連泊して作品を書いているような人は、ゴトーが知らなくても売れっ子だったんだね。熱海と言ったら、尾崎紅葉と坪内逍遥かと思ったら、太宰治とかも来ていてちょっとビックリ。あんまりハイカラな感じが似合わないと言う偏見があるからかもしれないけれど。
 将棋や囲碁のビッグタイトルも行われていたので、じっくり見て回る上に「中島潔」展をやっていたので一時間以上ウロついていたかも。「中島潔って、誰?」と言う人が多いと思うのだが、NHKのお知らせの牧歌的なぽっちゃりした子供の絵の人というか、「あたみフラーフェスティバル」のポスターの人というか、見たら「ああ、あの絵の人!」と思うのだが、ここにそれを張るわけにもいかないしねぇ。定期的にこうした展示物があるようなので、丁度当たればラッキーと言う事ですな。
どっちにしろ、すごいお爺さんなんだろうなぁ 最初に入る部屋に二階があるのだが、行きそびれたので、帰りがけに上がる途中、新規に来たお客さんが「昔、ナニナニさん(聞き取れず)と一週間、ココに泊まって…」と言う話しをして相手の人がすごく驚いていたのが聞こえた。それは、「ナニナニさん」がすごい人なのか、一週間泊まったのがすごいことなのか…両方?っと下世話な事を考えてしまった。
一部工事中だが、いい感じのお寺である ここまで来たから真っ直ぐ一本道にに来宮神社へ行くかというと、道すがら坪内逍遥のお墓と、生前住んでいた双柿舎と言うお家が途中にあるので、蛇行しながら歩く。
マ「坪内逍遥ファンなのか?」んにゃ、名前くらいしか知らない…。「小説神髄」と言うのを書いた明治時代に人というのは知っていたが、早稲田の先生だったから双柿舎の管理が早稲田大学なんだ〜。見学日じゃなかったので拝見は出来なかったけどね。通勤用と居間用とお風呂用の本があってもまだ読む本があるんだよ…
でも、もう…手一杯で、坪内さんまで追いきれない…。太平記も、まだ読んでないし(箱根編参照)、読まなくちゃならない本が多すぎるのだ。ゴトー、手広くやりすぎ?…ちなみに、お墓は斜面の上の方にあって、海が見えるいい所にありましたぞ。




旅日記 | 09:29:22 | Trackback(0) | Comments(0)