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ワンコ後藤

Author:ワンコ後藤
ワンコ後藤と申します。
町の変なモノを愛し、たいがい徒歩で移動します。
共立の社員であり、ホテルとその近隣を紹介します。

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旅日記じゃないけれど(食べ物驚嘆録)
 大層なサブタイトルをつけてみたが、大したことは書いていない。
 「美味いに理由あり、不味いに理由なし」
 それがゴトーがかつて遭遇して、未だにわからない謎のひとつである。だって、普通はその逆でしょ?
 「どうしてこんなに美味しいの?クチの中でとろけるわぁ」
 だいたいTVの旅行番組やバラエティで料理が出てくる際には、一回は耳にする言葉である。「状況的に拙い」ということがヤバイことだろう?危機的状況にあるのか、キミは!試しに「すごい」「美味しい」「とろける」と言う言葉をNGワードにして、語彙の少ない食べっ子タレント達にコメントさせてみたい。もちろん、NGワードを口にしたり、「えー、あー」と口ごもったり、食べてばかりだとギャラが減るのだ。マイナスは、当然支払いに回る。そりゃもう一生懸命仕事をすると思うけどなぁ(ふふふ…と暗い笑顔で)
 だって、美味しい素材で美味しいものを作って、不味いわけが無い。
むしってペロンチョな生活は、掘りたてじゃないとダメなんだけどね 美味しい素材には、「旬」であるとか「特別な飼育法」とか、「名産地のもの」とか、「理由」がある。それがどうして美味しいかは不思議だが、たぶん先祖伝来の智恵なのだろう。
 でも、だいたいにおいて不味いものにも、「理由」はある。
 粗悪な素材で、間違った料理法で、最悪のタイミングならば、おおむね不味いものが出来上がる。粗悪なものから美味しいものを作るのが、普通の人類の智恵である。あの福神漬けだって、元は雑多なクズ野菜の種類の多さを逆手にとって、七福神に見立ててネーミングして、美味しい漬物にしたと聞き及んでいる。
 コレが、「マグロにジャム」とか「アズキにカレー」なんていう想像するだに恐ろしいモノだと、基本的に料理じゃなくて「罰ゲーム」でしょう?あるいは、渋谷辺りを歩いている爪の長いキラキラ系の娘っ子に筑前煮やアジのフライを作らせるのも、「ゲテモノを作る」という前提に作られるので、「ある種の罰ゲーム」である。コレで美味しいものが出来るのは奇跡のようなものだ。
おばあさんの一人店だと文句も言えずに、さらに… そうじゃなくて、ちゃんとした店屋で不味いものが出てくる事もある。おおむねタイミングの悪さが原因だと思う。揚げ過ぎで、しかも時間がたってしまっているテンプラとか、異様に生温い月見ウドンなんかは、「ど〜して、こんなものを客に出すかなぁ、あ〜たは…」と、怒りを通り越してやるせなくなってしまうゴトーであった。
 この辺が底辺かというと、そうでもない。
 店の立地や雰囲気の悪さもプラスされる場合もある。
 それらの要素を省いてなお不味いモノを前にすると、人は「考える人」になってしまうようだ。好き嫌いのほとんど無いゴトーが、思わずフリーズした事が三度ばかりある。何一つ、不味い要素が思いつかないのに、むちゃくちゃ不味いモノを食べた時だ。
 その一つが、昔食べた幕の内弁当だ。状況としては、駅で購入して家族で新幹線で食べると言う、いたってノーマルな状態である。間違っても近くから異臭がすると言うことも無い。賞味期限も確認した。
雷に打たれるようなマズさって、どうよ? 「まずい…」
 ありきたりの白米に、おかずもありきたりの赤いウインナーや昆布の佃煮とか、珍しいものが一つも無い弁当だ。それなのに、不味い!三角に切られた玉子焼きが生臭いレバー風味とかで全てを台無しにしているとかなら、まだ納得が出来るのだが。
 「ごめんなさい、もうたべられません…」
 小食王のキャパでもなく、体調不良でもないのにギブアップをした、数少ない例である。大人になって、戦争時期にはヒドイご飯を食べたと言う父に、「あの時のご飯は、不味いと思った?」ときいてみたら、「食えなくはないが、不味かったなぁ」とのこと。やはり折り紙付きの不味さだったと、最近確認した。「何で、あんなに不味かったのかなぁ」しみじみと腕を組んでうなだれたものである。
 今は仕事とはいえホテルで美味しいものを食べる度に、友人の名言を思い出す。
 「同じ太るなら、美味しいものを食べて太りたい」
 小食王のくせに決してやせないゴトーには、実に身に沁みる言葉であった。

 追伸:箱根の鉱泉せんべいの缶をついに開けて、中を食した。
    合言葉は「んまー」なかなか好評だったが、もう少し落ち着いて食べような。
粉だらけになってどうする、キミ達…。


旅日記 | 15:34:32 | Trackback(0) | Comments(0)
旅行記じゃないけれど(一人旅困難録)
 うちの常務は、言う。
 「良く一人で旅をするよなぁ。自分は絶対ダメ。寂しくって」
 落着きが無い旅である そーかなー。一人って自分で何でもやらなくちゃならない。探したり、調べたり、決めたり、憶えてたりしなければならないから、寂しがっている暇は無いと思うのだが、みんなはどう?
 「でもさあ、移動の時とかつまらないし、食事の時とか一人じゃ侘しいじゃん」
 だがしかし!旅行記にもあるとおり、何故だかゴトーの周りにはワンダーな出来事がゴロゴロしていて、おおむね「大変」である事が多い。ちなみに「類は友を呼ぶ」らしくて、仲間で行動しても常に誰かが「末代までの語り草」になるような出来事を起こしてたりハマってたりするので、ひとえにゴトーのみになせる技じゃないらしい。
 世の中は、いつも不思議や、大変や、ビックリに満ちている。
 友人によると、たまにゴトーも「不思議やビックリ」に加担しているそうだ。そんなわけでゴトーは一人旅でも、結構楽しい。

 で、先に謝っておきます。
 「うるわしい話じゃなくで、申し訳ない!」
 一人旅で一番困った事とは、「トイレに関して」だろう。自分の都合でいけるという自由と引き換えに、何かの列に並んでいたりすると「不都合度:1」くらいには困ってしまう。まだそれは、「近くの人の温情にすがる」と言う解決方法が無いじゃないので、差し迫ったピンチではないのだ。
 トイレが無いとか混んでいるとかは、一人旅のピンチではない。いつでも誰でも起こりうるピンチだし、ちり紙が無いと言う事はほとんど無いくらい、ゴトーはあちこちのポケットに入れているのだ。
「どうして自分は今、一人旅なんかしているんだろう?」
 そう思ったのは、まわりに人が居ない、とある田舎のトイレであった。
一つは、狭いトイレだった。
和式のそれを取り囲む壁は「どうしてそんなに迫ってくるのっ?」と思うような、とりあえず使用可能な広さしかない。たぶん、曙とかは入れないと思う。簡易移動トイレの方が広いんでは…というようなトイレだが、清掃は行き届いていてキレイだった。
さて、どうしたものだろう… 問題は、旅行の最終日でゴトーの両手にはお土産の袋が握られていて、背中のカバンもいつものより大きいということである。せめて荷物を置く棚とか、フックでもあればいいのだが無情にもパイプのジョイント部分も丸くツルッとしていて、荷物を預ける先が無い。しかも、掃除したてらしい床は、ビッチャビチャに濡れていた。「誰か〜…」
いやぁ、あの時は本当に大変だった。(ニヤリ)
 もう一つ、逆に広すぎてピンチに陥ったこともあった。
紙もね、ゴトーぐらいじゃないと取れないんじゃ?って所に… それはムダに広いとしか言いようが無いほどで、元はトイレではない所を改造したのかもしれない。あまり手がかけられていないらしいソコは、カギが緩くて、おりしも強風にドアがギーギーと揺れて、いつコントのように「バターン!」と開くかわからないスリルに、非常にビクビクだった。手を伸ばしてもドアに届かないのが、もどかしくて困ったものである。
 誰か居れば「持ってて」「押さえてて」と頼むので、どちらも記憶にも残らないような出来事なんだけど、一人旅ならではの忘れがたいピンチとして憶えているのだろう。
 もうずいぶんと昔の話である。
 そこがどこのトイレだったかも忘れたけれど、一人旅で困った事というと何故か真っ先にそのことが思い出されるのだった。
 


旅日記 | 15:46:28 | Trackback(0) | Comments(0)