投稿日:2006-03-16 Thu
「ハイキングロード・歴史の湯坂道編」ぐるりと見回すと「湯坂道(鎌倉古道)」と書いてある案内があった。東海道が整備される前の芦ノ湖に出る街道であったそうだが、それなら石畳とか、それらしいのがあってもいいんじゃないの?
ちらりとそう思ったが、別にリクエストはしていない。でもしっかり、目の前には石垣を横倒しにしたような足場がゴロゴロの石畳が現れた。やあ、やっぱりみんなそう思うものなのかもしれないねぇ。ここには石畳だって。…またしても俯き加減でハーハー言いながら登る。これが、結構シンドイ。
「おや、ワンコくん。見てごらん、君の知ってるハッパだね」「そうですね、ゴトー先生。紅葉と桜のハッパですね」思わず『誰か』と話をしてしまった。前に歩いた人の足跡が滑っているのを見て、ドキドキしながらそれでもそーっと後ろを振り向く。
ハッパの無い枯れ木のような両サイドの木は、春や秋には見所になるんだろう。中央が抜けて見えるのは浅間山だろうか。見晴らしが良くて、いい感じだが…ここにも「ファイト一発」仕様のロープが欲しい。(前号参照)
ところが登りきったなと思ったらいきなりなだらかで広い所に出たのだ。「鷹巣城ぉ?頂上なの?」看板によると、家康さんが北条攻めで陣を張ったらしいが、家康さんクラスの陣なら少し狭くない?
アジサイの植わっている右サイドに対して、「堀か?土盛?」と思うような凸凹が見えるが、「お城マニア」じゃないから城郭の址の様子はわからない。なんだか地べたに車の轍(わだち)があったりして、車はここまで入ってくるんだ…。ふいと横を見ると「飛龍の滝→900M」と言うのを見て、フラフラッと入ってしまったが、良く考えたら行こうと思った方向じゃない。100Mくらい下ってしまったが、慌てて戻る。…ちょっとお馬鹿さんであった。
大きな道は国道一号こと「東海道」。ここで芦の湯方面に行くのだが、小さくても温泉街だから道に自販機があるんだけど、なんとなくだんだん「ま、いっか…」と言う気分になり、結局飲み物は買わずじまい。江戸時代の文人墨客にはあんまり縁が無いのだが、一応史跡だから「東光庵」にも行ってみた。
途中、笛塚なる碑文があったが、柄の入った石は読みにくいよ、作った人達さん。要は、新羅三郎(しんらさぶろう)が笛の秘曲を足柄山で豊原時秋という人に秘曲を教えたからと言う話らしい。足柄山の話が、なぜここに?そして三郎さんが笙(しょう)が吹けたなんて知らなかったよ。太郎兄さんを助けに行く途中の事だったらしい。…エートねぇ、平安時代の人達で、前九年・後三年の役って名前で教科書に出てくる事件に関係してくるって事だけは知っているといいかも。もう少し詳しくは「*続きを見る」で。
東光庵は再建ですごく新しかったんだけど、近くにある小さな薬師堂はそれより古いものらしいが再建で、壁の仏画がきれいだったのにはちょっとビックリ。本来のお寺は、こんなに派手派手なもんだったんだよね。気が付いたら見てみて。
この先が「元箱根石仏・石塔群」で、地味ながら仏像・仏塔好きのゴトーのツボの観光ポイントである。道路脇に遊歩道が作られてさっきまでの疲労困憊もウソのようにルンルンと足取りも軽く、「曾我兄弟の墓」を目指す。
コレがね〜、スンゴク大きいの♪塔の間に格闘家のチェ・ホンマンさん(218センチ)を立たせたいくらい。ちょっとわかりにくい喩えか。一番手前で少し小さい「虎御前」
(十郎兄さんの彼女)の高さですら、←上にまだ余裕を残して、↓こんな感じ。もちろん本物のお墓ではないので、それほど罰当たりではあるまい。
地蔵講というグループが作った事は整備された際に判っているのだ。ちなみに曾我兄弟の首塚は、三郎パパのお墓の所にもあったが、ビックリするほど小さい(伊東再来記を参照)。どうしておじいさんが「二郎」でお父さんが「三郎」で、お兄さんが「十郎」で弟が「五郎」なのかは、すんごくめんどくさい話なので、興味のある方は「曾我物語」と言う話にトライしてみて下さいな。ここちょっと先に時代劇の茶屋みたいのがあって、更にその先の地下道を抜けると石仏群だ。地下道出ると右の、階段を降りると左のがある。


整備の際にまとめられたようだが、良くぞこんな野ざらしで、富士山も噴火とかしているのにご無事であった事よ…と思われる。コレを作ったのが一般人の信仰力なのだ。ここいら辺は、地蔵信仰が盛んだったので、ココ以外の石仏もほとんどお地蔵様である。判らなくても一応説明プレートがあるし、道もそんなに悪くないので雨の日とか雨上がりとかは流石にぬかるんでると思うが、右手に精進池を眺めての、結構穴場な自然歩道である。
もう一つ大きな石塔があるのだが、「源満仲の墓」って、どっから出てきた話なんだい?満仲は「ただ(多田)のまんじゅう」とも呼ばれていて、夏目漱石の「坊ちゃん」が自分は「まんじうの末裔」だとエバッていた、由緒正しい人である。
強いて言えば、息子の頼光さんの部下に坂田金時(金太郎さん)な事くらいしか、この辺とのつながりが思いつかない。
ちなみに「多田(ただ)」は大阪の地名で、そこに土地を持っていたわけだな。
「八百比丘尼の墓」とかあもあるが、最後の目玉が、「六道地蔵」と言う大きな石仏で、ここも地下道をくぐって道路の反対側に行く。昔はお堂があったり、野ざらしだったり、波乱万丈の人生だったが、
整備後はお堂の中で安泰な余生を送っている。またもと池の端に戻って、この自然歩道の行き着き先が「元箱根石仏・石塔群保存整備記念館」である。小さいが、どうやって整備したかがわかるし、何より無料である。ここにはたぶん「地蔵信仰を判りやすく説明するためのコーナー」があるのだが、ぜひとも語り部が欲しい。
無言でお話が進行するのが、遅くてせっかちなゴトーは行き過ぎてから後ろで「どーん!」と言う音がする有様。短気な人ならぐるぐると何度も入って、ようやくエンディングに出会えるくらい。だから、最後のお経に思わずほっとする。「ああ、やっと極楽か…」ってね。(笑)*役に立たない解説も、今回はウザイくらい付きます(笑)
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